ホテル阿寒湖荘
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 釧路から来て、十勝から来て、網走から来て、その県境を登りつめれば深い藍をたたえて、鏡のような神秘が光る。
 野バラの奥のトラピストに、クリスマスの鐘が鳴る頃白髪のアイヌの老爺は、その秋辺に白い天馬が風に舞って北から南へ空を渡る夢を見るのだ。
 その朝、阿寒湖は、一面の白氷と化して藍色をかくしてしまう。ヒメマスも、ミンクも、熊も、眠りへの支度をする。
 エゾ松は雪の衣を重くして、イオマンテのかがり火がアイヌの口琴にゆれて、奇しき影は雪原をのたうつのだ。
 アイヌ酋長の娘セトナの魂は雌阿寒に吹き上げたが、しもべマニベの魂は、氷の中で青いマリモと化したるか、長い冬の始まり悲恋の夜ばなしは尽きない。
 シャモの鉾先を恐れて可憐な瞳をしばたかせた、シカやリスや野ウサギたちがようやくフプシヌプリのカラ松の間を我が庭と駆け回るのだ。雪割草が眼をさましては春は近いと告げる或る朝、解氷のひびきは山びこを呼んで澄み切った神秘の藍は、再び現はる。
 ヒメマスどもは岸近きスズランの音を聴いて、銀鱗をうねらせ愛をささやく。
 雌阿寒の噴煙は、再びすさまじくトド松の上をはい、やがて、山あいに紫のツツジ・シャクナゲを乱れ咲かす。
 哀しきイヨマンテ、熊のむくろの上にも黒百合が、一つ咲き二つ咲いた、春はいち早く夏を呼ぶのだ。
 そんな美しい山や湖、獣や魚やくさむらと、物語りの中に白亜六層の阿寒湖荘がなった。
 人々はここに来て都塵を洗い、ふと、生きとし生ける、生きものの喜びを吸ふことが、あらねばならない。
一九六五年五月吉日
森繁久弥
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